それ以上でも、それ以下でもないとは

2005-10-15

「それ以上でもそれ以下でもない」という表現を
耳にしたことはないだろうか。

別段珍しくもない表現であり、漫画やドラマなどでも普通に使われる台詞である。
試しにこの言葉を検索エンジンにかけてみたところ、
64,000件がヒットした。広大なネットにおいては
多くない数字かもしれないが十分、一般的に使われる表現であると言える。

ではこの言葉が指すところの意味は何か。
多くの場合、これを聞いた人の大半はこの言葉を

「それでしかない」

という意味として受け取るだろう。
事実、僕もそうであったし、実際にこの言葉が使われる現場でも、
「それ以外の何者でもない」といった言葉と同義として
使われているようである。
例えば、
「道具は人に使われるものだ。それ以上でもそれ以下でもない」
といった調子だ。

しかしここで考えてみてもらいたい。

「それ以上」という言葉は、「それと同じか、それよりも多い」
という意味であり、この中には「それ」が含まれている。
もちろんこれは「それ以下」の方も同様である。
ではこれは、「それでしかない」という意味に反するのではないか。

つまり「それ以上でもそれ以下でもない」ということは
「それより多くも、それより少なくも、それと同じでもない」
ということになる。つまりこの様に考えるとこの言葉は単に、
「何者でもない」
という意味になってしまうのだ。何ということだろう。


ここで断っておくが、僕は何も日本語の揚げ足を取りたくて
この主張を行っているわけではない。
言葉というものは時として、もともとの意味と違う解釈を
されることがあるが、それが完全に定着してしまったのなら
別にそれでもいいと思っている。
実際、そのような言葉で今も使われているものもあるはずだ。
ただ僕は、本質を見極めておきたいだけである。


ところでこの主張は、微妙に完全性に欠ける。
というのも、僕は今の時点で言葉という曖昧なものを、
無闇に論理的に解釈しようとしているのからいけないのだ。
これでは問題がある。

そもそも言葉というものは、細かいところでは書式や定義が
不確実なものであり、特に日本語というものは自由度が高い。
一つの文章でも複数の解釈ができるということも、少なくないのだ。
だからこの「それ以上でもそれ以下でもない」という一節も、
複数の解釈ができる可能性を持っている。

例えばこれが、情報数学における一つの命題の条件であったとしよう。
今の言語的解釈から言えば、これを数学的に表記すると

「それ以上でなく、かつ、それ以下でない」

ということになろう。
「それ以上」の否定は「それ未満」であり、
「それ以下」の否定は「それ超過」であるから、
この条件は言い換えると

「それ未満、かつ、それ超過」

ということになる。ここから僕らは、こんな条件を満たす
ものなど存在しないという認識を直感的に得る。
しかしこの様に一意で明確な答えが得られるのは、
これを数学的に解釈しているからに他ならない。


これが言語的解釈ともなると、話の土俵が変わってしまう。
土俵が変わってしまうと、それまでのルールが通用しなくなる。
例えばここでは、「それ以上でない」「それ未満」と等価である』
という理論が、保証されなくなってしまうのだ。

例えばここまで僕は勝手に「それよりも多い」「それ以上である」
含まれることを前提に考えてきた。だから「それ以上でない」ということは、
同時に「それ超過でもない」ということである
、という解釈を行った。
しかしこの様な考え方は情報数学において成り立つものであり、
言語的解釈においても通用するわけではないのである。

そう、「それ以上」でない』 ということと「それ超過」でない』
ということは全く違うものであり、そこに包含関係は存在しないという
考え方もできるのだ。

だから考え方によっては、
「それ以上でもない、それ以下でもない」のであっても
「それ超過であるとか、それ未満である」可能性はあるのだ。
これが真の言語的解釈であると考えられる。


ではこの様な考え方に基づいてこの言葉を解釈するとどうなるか。
これは
「それ以上」でなく、かつ「それ以下」でもないが、
「それ未満」「それ超過」「それと等価」などは有り得る』

ということになる。括弧の付け方に注目してもらいたい。

しかしこの考え方では、やはり色々と判然としない部分が出てくる。
やはりこういった偏屈的な考え方は現実的では無い様に思える。
論じている僕も何がなんだかわからなくなってきてしまった。




とまあ色々考えてみたが、とりあえず実用上は
定着している意味でそのまま使えば問題はないと言える。
「役不足」や「確信犯」など、意味を間違われやすい単語は
訂正される傾向があるが、間違えた意味が定着したのであれば
それはそれで新しい意味として認めるべきだろう。
言葉は日々進化しているのだ。


もしかしたら他にも、このような
「冷静に考えるとひっかかる表現」
があるかもしれない。